第7章
少年と大人の狭間で
「子ども時代が、ある日突然終わるわけじゃない。
ただ毎日を生きているうちに、いつの間にか、自分がこれからどんな人間になっていくのか、その人間につながる選択を少しずつし始めている。」
自分がいつ「小さな子ども」ではなくなったのか、その日を僕は覚えていない。
きっと、誰だってそうなんじゃないかと思う。
ある朝目を覚まして、鏡を見ながら、
「いやぁ、子ども時代は楽しかったな。今日からティーンエイジャーか」
なんて突然思ったわけじゃない。
変化は、ゆっくりやってきた。
中学生になっても、周りにいるのは何年も前から知っている顔がほとんどだった。
僕はまだ、それほど遠くへ行ったわけじゃない。
相変わらず、山で育ったあの少年だった。
でも、僕の世界は少しずつ広がっていた。
スポーツはもっと本格的になった。
友達との関係も変わっていった。
お互いのことを、今までとは少し違った目で見るようにもなった。
少しずつ自立し、自分で決めることが増えていった。
そして時々、とんでもなくバカなこともした。
今振り返ると、中学校時代というのは、将来自分がどんな人間になっていくのか、その片鱗が少しずつ見え始めた時期だったように思う。
そして時には、
自分が「なりたくない人間」の姿も見え始めていた。
小さなこと
記憶って不思議だ。
必ずしも大切なことが残るわけじゃない。
時には、ただのコーラの自動販売機だったりする。
学校からバスに乗る前、なんとか小銭をかき集めて、自動販売機で飲み物を買おうとしていたことを覚えている。
僕のお気に入りは?
クリームソーダ。
なぜあのクリームソーダのことを今でも覚えているのか、自分でもよく分からない。
でも、家へ帰るバスに乗る前に一本手に入れられると、なんだか小さな勝利を手にしたような気分になった。
もちろん、バスの中では食べたり飲んだりしてはいけなかった。
どうやら僕の思春期の「自立」は、クリームソーダをこっそりリュックに忍ばせるところから始まったらしい。
バスに乗ると、だいたい後ろのほうの席へ行って、見つからないようにその「密輸品」を楽しんでいた。
別に、そこで何か大事件が起きたわけじゃない。
人生を変えるような教訓があったわけでもない。
ただ、なぜか今でも残っている、小さな思い出のひとつだ。
もしかすると、子ども時代ってそういうものなのかもしれない。
僕たちが覚えている大きな出来事だけでできているわけじゃない。
いつか恋しくなるなんて、その時は思いもしなかった何千もの小さな瞬間。
それが、子ども時代なのかもしれない。
同じ仲間、広がっていく世界
僕は基本的にずっと同じ仲間たちと育ってきた。
だから中学校に入ったからといって、突然まったく知らない人たちの世界に飛び込んだわけではなかった。
でも、友情の形は少しずつ変わり、中にはそれまで以上に深くなっていく関係もあった。
ラスティンも、その一人だった。
僕の記憶では、彼の家族は町にあるガソリンスタンドを経営していた。
たしか、町で唯一のガソリンスタンドだったと思う。
当時の僕は、友達の親がどんな仕事をしているのか、その仕事の裏にどれだけの努力があるのかなんて、ほとんど考えたこともなかった。
ただ、ラスティンの暮らす世界は、僕の世界とはずいぶん違って見えた。
彼の家で開かれた誕生日パーティーに行ったことを覚えている。
山の小さなキャビンで育った僕にとって、彼の家はものすごく大きく見えた。
立派な家。
今でも覚えている大きな馬小屋。
そして、子どもたちが遊び回るには、いくら時間があっても足りないような場所だった。
いやぁ、あの誕生日パーティーは本当に最高だった。
でも今、ラスティンのことを思い出した時、強く残っている記憶のいくつかは、実は彼の家ではなく学校でのことだ。
彼の両親は、いろいろな祝日になると学校生活を少し楽しくしてくれた。
クラスのみんなに小さなプレゼントやサプライズを持ってきてくれたり、ラスティンの誕生日には全員分のカップケーキを用意してくれたりした。
子どもの頃の僕は、そのために彼の両親がどれだけ時間を使い、準備し、手間をかけてくれていたのかなんて考えもしなかった。
ただ、
「ラスティンの家族が来る日は、いい日だ」
それくらいにしか思っていなかった。
でも今なら、あの小さなことの意味がずっとよく分かる。
僕たちのために何かをする義務なんて、彼の両親にはなかった。
ただ自分たちの息子にとって特別な日を作ろうとして、その喜びを僕たちにも分けてくれていた。
今でも覚えている。
それだけで、十分その意味を物語っていると思う。
誰も覚えていないトランペット少年
中学校に入ると、学校のスポーツも本格的になった。
陸上をやった。
バスケットボールもやった。
そして、アメリカンフットボールもやった。
でも、今の僕しか知らない人には、なかなか想像できない「若き日のスティーブ」がもう一人いる。
僕はトランペットを吹いていた。
しかも、本当に好きだった。
僕たちの家にはあまりお金がなかった。
だから楽器を買うなんて、簡単にできることではなかった。
でも、バンドの先生が僕のために使えるトランペットを見つけてくれた。
どういう経緯だったのか、もっとちゃんと覚えていればよかったと思う。
今になって振り返ると、それがどれほどありがたいことだったのかが分かるからだ。
参加したいと思っている一人の子どもを見て、その子の前にあった障害を、誰かが何も言わずに取り除いてくれた。
しかも、僕はそこまで下手じゃなかった……らしい。
昔の記憶が実力を少し盛っている可能性は十分あるけれど、たしか時々はファーストチェアになっていたと思う。
でも、やがて選ばなければならない時が来た。
バンドか。
フットボールか。
これは本当に難しい選択だった。
僕はトランペットを吹くのが好きだった。
そして、わざわざ僕にチャンスを与えてくれたバンドの先生には、本当に感謝していた。
それでも最後に選んだのは、
フットボールだった。
当時はただ、好きなもの二つのうち、どちらかを選んだだけだった。
でも今振り返ると、ああいう小さな選択こそが、
「自分はどんな人間になりたいのか」
それを自分で選び始めた最初の瞬間だったのかもしれない。
僕の周りにいた少年たち
その頃、僕の人生の一部になっていった友達は他にもいた。
ジョシュとはかなり仲良くなった。
彼も僕と同じ、ノガルという小さな町に住んでいた。
僕たちの友情については、まだまだ話したいことがある。
でもそれは、ノガルについて書く時まで取っておこうと思う。
ただ、ジョシュと僕には間違いなくいろいろな冒険があった。
一緒に去勢牛に乗り、やがてジュニア・ブルにも乗るようになった。
どうやら思春期の少年にとって、フットボールだけではケガをする機会が足りなかったらしい。
それだけではなく、一緒に空手も始めた。
この辺りの思い出には、また戻ってくる。
ジョシュとノガルは、僕の子ども時代の中でも、ほんの数段落では終わらせたくない物語につながっているからだ。
だから今は、これだけにしておく。
あの頃、ジョシュはそこにいた。
そして、クリントもいた。
クリントは、土地もたくさんあって、ダートバイクを乗り回していた、いわゆるワイルドな少年だった。
ジャンプしたり、まだ脳が「それをやったらどうなるか」をちゃんと計算できるようになる前の少年たちがやるようなことを、片っ端からやっていた。
あの年頃では、それだけで最高にカッコいいやつだった。
そんな友情も、僕が成長していく一部だった。
でも、成長していく中でのすべての自分を、今の僕が誇りに思えるわけではない。
ライアン
年を重ねるほど、気になるようになった記憶がひとつある。
ライアンという少年のことだ。
たしか彼は僕たちの学校では比較的新しい生徒だったと思う。
ただ、これだけ年月が経っているので、覚えていない部分を勝手に埋めるつもりはない。
僕の記憶の中のライアンは、背が高く、運動神経も良さそうな、体格のいい少年だった。
普通なら彼を見て、
「よし、こいつの顔を殴ってやろう」
なんて思う相手ではない。
でも、中学生のスティーブは違ったらしい。
学校の廊下、ロッカーの近くを歩いていた時のこと。
僕は何の前触れもなく、突然ライアンの顔を殴った。
今でも引っかかっているのは、
その理由をまったく思い出せないことだ。
ライアンが僕に何かひどいことをした記憶はない。
僕を傷つけた記憶もない。
殴るほどの大きな喧嘩や言い争いがあった記憶もない。
誰かにけしかけられたのかもしれない。
カッコつけたかったのかもしれない。
自分でも覚えていないようなプレッシャーがあったのかもしれない。
それとも単純に、一人の子どもがひどい判断をしただけなのかもしれない。
本当のところは分からない。
そして、今になって説明しやすくするためだけに、昔の記憶に都合のいい理由を付け加えたくはない。
ひとつだけ分かっている。
ライアンは、殴られるようなことをしていなかった。
たしか僕たちは、その前も、その後も友達だった。
だから余計に、この記憶は不思議に感じる。
ライアン。
もし、いつかこれが君のところまで届くことがあったら。
心から謝りたい。
あの日、僕の頭の中で何が起きていたとしても、僕がしたことは変わらない。
もしひとつだけ、あの日に戻ってやり直せるなら、
僕はあの瞬間を取り消したい。
魚のシャツ
そして、ディラン。
こちらは、そこまで深刻な話ではない。
ある日、ディランは小さな魚がたくさん描かれたボタンシャツを着て学校に来た。
そしてなぜか——本当にこう記憶しているんだけど——
彼自身からも魚みたいな匂いがした。
魚柄のシャツを着て、しかも魚の匂いまでしている友達を、中学生の男子たちの前に置く。
まあ……
何も起こらないほうがおかしい。
僕たちは校庭でディランを囲んで、そのことを散々からかった。
みんな笑っていた。
ディランも笑っていた。
少なくとも、僕の記憶ではそうだった。
そして長い間、それはただの中学校時代のくだらなくて笑える思い出だった。
でも、年を取るというのは不思議なものだ。
昔の記憶を、違う角度から見るようになる。
もしかすると、ディランは本当に面白がっていたのかもしれない。
もしかすると、みんなが笑っていたから一緒に笑っていただけなのかもしれない。
正直、分からない。
僕たちはかなり仲のいい友達だったから、彼も僕と同じように覚えていてくれたらいいなと思う。
でも今の僕には、あの校庭にいた少年には分からなかったことがひとつ分かる。
みんなが笑っているからといって、みんなが本当に面白いと思っているとは限らない。
少年と大人のあいだで
思春期って、不思議な時期だ。
自分で決断をし始めるには十分な年齢なのに、その決断の意味をすべて理解するには、まだ全然大人じゃない。
ある日は、クリームソーダをこっそりスクールバスに持ち込もうとしている。
別の日には、トランペットかフットボールかを選んでいる。
その合間には、ジュニア・ブルに乗り、空手を習い、友達と遊び、そして自分でも説明できない理由で誰かを殴っていたりする。
僕たちは、自分が何者なのかを探していた。
うまくいく時もあった。
間違える時もあった。
振り返ってみても、僕は最悪の子どもだったとは思わない。
でも、過去のすべての自分を誇りに思っていたふりをする必要もない。
それも、僕がこの物語を書いている理由のひとつだ。
「感謝」というのは、自分に優しくしてくれた人たちだけを思い出すことではない。
時には、自分が相手に十分な優しさを見せられなかったからこそ、知らないうちに大切なことを教えてくれた人を思い出すことでもある。
そして、その中学校時代。
もうひとつ、僕の知らないところで変化が始まっていた。
キャビンの外にある僕の世界がどんどん広がっていく一方で、
キャビンの中にあった僕たちの世界は、少しずつ変わり始めていた。
電気が来た。
テレビや映画が、それまで外の世界から切り離されていたような場所に、外の世界の一部を運んできた。
そしてやがて、
それ以外のものまで入ってくるようになった。
ここまでの七つの章で読んでもらった、あの家族。
山の小さなキャビンで一緒に暮らしていた家族。
僕たちは、もう長くはあのままではいられなかった。
でも、その時の僕はまだ知らなかった。
僕はまだ、ただの子どもだった。
土の上にミニカーの道を作って遊んでいた、あの小さな少年ではなくなりつつあった。
でも、大人にはほど遠かった。
ただ、
少年と大人のあいだにいた。
そして、もう少しの間だけ……
家は、まだ「家」だった。
つづく。
⸻
感謝の手紙
あの「子どもと大人のあいだ」の時間を、一緒に過ごしてくれたみんなへ。
一緒に大きくなってくれて、ありがとう。
あの頃の僕たちは、自分たちが「一緒に成長している」なんて、きっと考えてもいなかった。
ただの子どもだった。
スポーツをして、
牛に乗って、
空手を習って、
楽器を演奏して、
本当は禁止されていたクリームソーダをバスに持ち込んで、
お互いをからかって、
そして時々、自分でも意味が分からないようなことをしていた。
友情をくれた人がいた。
僕の家ではなかなか用意できなかったような機会を与えてくれた人もいた。
何でもない普通の学校の日を、カップケーキや小さなプレゼント、ちょっとしたサプライズで特別な日にしてくれた友達のご両親もいた。
あの頃には分からなかったその優しさを、今の僕はずっと深く理解している。
冒険と、今でも笑顔になれる思い出をくれた人もいた。
そして、自分では気づかないまま、僕に大切なことを教えてくれた人もいた。
一緒に笑ったみんなへ。
競い合ったみんなへ。
一緒に学んだみんなへ。
そして、一緒にくだらないことをやったみんなへ。
あの時間の一部になってくれて、本当にありがとう。
そして、まだ自分が何者なのか分からずにもがいていた僕が、傷つけたり、恥ずかしい思いをさせたり、からかったり、ちゃんと優しくできなかった人たちへ。
ごめんなさい。
もし戻れるなら、違う行動をしたいと思うことがある。
もしかすると、それも年を重ねることの贈り物のひとつなのかもしれない。
昔に戻って、あの頃の自分を変えることはできない。
でも、
あの頃の自分を理解することはできる。
優しくしてくれた人たちのことを、今になって本当の意味でありがたいと思うことができる。
自分が十分に優しくできなかった人たちのことも、きちんと認めることができる。
そして、そのすべての人たちが、それぞれの形で、やがて僕がなる人間を作る一部になってくれたことに感謝できる。
僕たちは、もう小さな子どもではなかった。
でも、決して大人でもなかった。
ただそのあいだで、
みんな自分なりに答えを探していた。
その答えのいくつかを、みんなと一緒に探せたことを、僕は今とてもありがたく思っている。
僕の物語の一部になってくれて、ありがとう。
— Steve