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第2章

私を育てた手

「人は、たった一人の力だけで今の自分になるわけではない。

これまでの人生を振り返ると、今の自分は本当に多くの人の手によって形づくられてきたのだと気づく。

命を与えてくれた人。

愛を与えてくれた人。

厳しさを教えてくれた人。

勇気を与えてくれた人。

その一人ひとりが、今も私が立っている人生の土台を築いてくれた。」

感謝の手紙を書き始めたとき、この章が一番書きやすいだろうと思っていた。

だって、誰にでも親はいる。

そう思って、いざ書き始めてみた。

でも実際には、私には「母と父」という一言だけでは語れない物語がある。

人生のそれぞれ違う時期に、四人の人が私の人生に入り、それぞれが今も私の中に残る何かを与えてくれた。

これは、完璧な人たちの物語ではない。

これは、感謝の物語だ。

私の物語が始まった場所

私の実の両親は、これ以上ないほど違う世界からやって来た二人だった。

母、Cathie Rene Eisen は、17歳でニューヨークを飛び出し、西へ冒険を求めて旅立った自由人だった。

自分のことをよく「ジプシー」と呼んでいた。

馬が大好きで、学校にまで馬で通っていたほどだ。

本を読むこと、文章を書くこと、ガーデニング、そしてアートを愛していた。

情熱的で、思いやりがあり、正直で、ときには頑固。

そして何より、自分の人生を自分らしく生きることを恐れない人だった。

実の父、Esteban Ramirez は、メキシコのコリマ州からやって来た。

父がアメリカへたどり着いた道のりは、母とはまったく違っていた。

若い頃、より良い機会を求めてアメリカへ渡り、やがて競馬場にたどり着き、競走馬に関わる仕事や調教をするようになった。

その後、人生が二人のどんな面を見せることになったとしても、二人には共通するものがあった。

よく働くこと。

そして、馬を愛していたこと。

その世界のどこかで、二人の道は交わった。

馬がいなければ、今の私は存在していなかった。

母は妊娠6か月になっても、Sunland Park で馬に乗りながら競走馬を誘導する仕事を続けていた。

母と父は自分たちの小さな競走馬厩舎を持ち始め、一時期は物事が本当にうまくいっていたらしい。

どうやら私は、この世に生まれる前から競馬場の一員だったようだ。

母のお腹が大きくなっても馬の仕事を続けていたため、競馬場の人たちは、まだ生まれてもいない私をこう呼び始めた。

「Post Time(発走時刻)」

みんな、私がいつ登場するのか待っていたのだ。

5月31日、母は陣痛が始まっても一日中働き、その夜、ようやく病院へ向かった。

母は看護師に、

「どうしても日付が変わる前に産みたい」

と言ったらしい。

看護師の答えは、ほぼ、

「それは無理ね。」

だった。

そして翌朝2時55分。

私は看護師が正しかったことを証明した。

ようやく私の登場だ。

生まれて間もない頃

母が競馬場から離れていた期間は、それほど長くなかった。

すぐに、私も一緒に仕事へ連れて行かれるようになった。

仕事へ向かう途中で母乳を飲ませてもらい、競馬場に着くと、母が馬の世話をしている間、厩舎の通路の端に安全に置かれたチャイルドシートの中で過ごした。

どうやら私は、競馬場の日常が周りで動き続ける中、朝のほとんどを眠っていたらしい。

ある朝、馬がトラックから戻ってきたのと同時に、私はお腹を空かせて目を覚まし、泣き始めた。

母の母乳はすぐに出始めたけれど、まず馬の鞍を外さなければならない。

だから私は少し待つしかなかった。

私が泣いているのを見た騎手の Salustio Burgos は、状況を見て母にこう言った。

「心配するな。泣くことも、こいつの根性を育てるから。」

どうやら私の“根性づくり”は、ずいぶん早くから始まっていたらしい。

最近、母からもう一つ教えてもらった。

私を寝かせたいとき、母は馬に乗っているときの揺れを真似して、膝の上で私を上下に揺らしていたそうだ。

すると、私はほとんどすぐに眠ったらしい。

馬に乗った母が、腕の中に赤ん坊の私を抱いている写真も残っている。

今では、その写真が以前よりもっと大切に思える。

歩けるようになるよりずっと前から、馬はすでに私の物語の一部だったのだ。

人生が変わり始めたとき

残念ながら、両親が一緒に築こうとしていた人生には、別の一面があった。

実の父は働き者で、優しい一面もあった。

しかし、酒と嫉妬が次第に父を変えていった。

二人の関係には暴力が入り込み、母は日に日に恐怖を感じる環境の中で、子どもを育てることになった。

大人になった今になって初めて知ったこともある。

聞くのがつらい話もある。

でも、それを知ったことで、私は母という人を以前とは違う目で見るようになった。

母が最終的に父のもとを離れたことは、ずっと知っていた。

でも、その「離れる」ということが、どれほど難しかったのかは理解していなかった。

お金はほとんどない。

幼い子どもが二人いる。

頼れる場所も少ない。

そして、もし逃げようとしたらどうなるかと脅してくる男がいる。

だから母は、準備を始めた。

少しずつ持ち物を減らした。

馬を売った。

次に住む場所を手配した。

そして、機会を待った。

母と私、二人の記憶に残っている出来事がある。

私は2歳くらいだった。

傷つけられた母のところへ歩いて行き、切れて腫れた唇に触れながら言った。

「パパがやったの。」

幼い私は、その言葉が持つ重さなど理解していなかった。

でも、母には分かった。

やがて母は、勇気と機会を見つけ、父のもとを離れた。

子どもの私に分かったのは、自分の世界が変わり始めたということだけだった。

夫になり、父親になった今なら、もっと多くのことが分かる。

星空の下で

その苦しかった時期、母は時々、夜になると外へ出て草の上に横になり、星空を眺めていたという。

逃げようとしていたわけではない。

ほんの数分でも、心を休ませる時間が必要だったのだ。

ある夜、母がいつもより長く外にいた。

幼い私は、母がいないことに気づいた。

だから探しに行った。

私自身は、そのことを覚えていない。

でも、母は覚えている。

後に母は、その夜のことを文章に残していた。

星空の下に横たわり、疲れ切った自分の心を取り戻そうとしていた母。

そこへ小さな男の子が外に出てきて、母の肩にしがみつき、腕にもたれかかった。

母には一人になる時間が必要だった。

でも、その小さな男の子には母が必要だった。

40年近く経った今、その言葉を読んで、自分でも思っていた以上に心を動かされた。

母には星空が必要だった。

私には母が必要だった。

そして、その二つは同時に真実だったのだ。

もう一人の母

父のもとを離れたからといって、母は父を私たちの人生から完全に消そうとはしなかった。

弟と私はその後も父と過ごすことがあり、その時期に、もう一人の女性が私の人生に入ってきた。

Marya。

あの頃のすべてを覚えているわけではない。

でも、大切なことは覚えている。

彼女の料理。

スペイン語。

靴ひもの結び方を教えてくれたこと。

いつも清潔にしてくれたこと。

大切に世話をしてくれたこと。

温かさ。

安心感。

そして、自分の居場所があるという感覚。

Marya は、私を自分の子どもたちと同じように扱ってくれた。

当時の彼女にとって、それはきっとごく普通のことだったのだと思う。

でも今の私には、その意味がまったく違って見える。

最近、本当に長い時間が過ぎた後、私は Marya に連絡を取った。

Before the Final Salute で何をしようとしているのかを伝え、幼い私を育ててくれたことへの感謝を伝えた。

あの頃のことを少し思い出させてもらえたら、と思っていた。

でも、彼女の返事は、それ以上のものを私にくれた。

私を誇りに思っていると言ってくれた。

食事を作り、清潔にしてあげたことを、特別なことだとは思っていなかったと言った。

母親として当然のことだった、と。

そして、自分のささやかな家は、いつでも私のために開いていると言ってくれた。

何より、彼女はメッセージの中で私をずっとこう呼んでいた。

「息子」

その言葉が、ずっと心に残った。

私は、自分を育ててくれた一人の女性に感謝を伝えるつもりで連絡した。

でも彼女は、彼女の心の中では、ただ自分の息子を育てていただけなのだと気づかせてくれた。

Marya、本当にありがとう。

血のつながっていない子どもを、その子自身が違いを感じないほど深く愛する。

それは、とても大きな愛だと思う。

再び母のもとへ

しばらくの間、私の周りで最も多く話されていた言葉はスペイン語だった。

スペイン語が私の最初の言葉になった。

やがて母は、私の学校生活や、将来うまくやっていくために十分な英語を身につけられるのかを心配するようになった。

同じ年頃の子どもたちより学習面で遅れ始めていることに気づいた母は、また一つ難しい決断をした。

私を自分のもとへ連れ戻した。

その決断によって、私の人生はまた大きく方向を変えることになる。

なぜならその頃、母の人生にはすでに、もう一人の男が現れていたからだ。

その男の名は、Ronnie Hammett。

山男

母から Ronnie と初めて出会ったときの話を聞くと、思わず笑ってしまう。

私の記憶にある二人らしすぎるからだ。

二人が出会ったのは、バーだった。

Ronnie は黒いカウボーイハットをかぶって座っていた。

二人は話し始めた。

Ronnie は母に、ログキャビンや山、牧場、そして母がずっと夢見ていたような暮らしの話をした。

その夜、別の男性が母のために花束を持ってバーへ入ってきたらしい。

かわいそうに。

母はほとんど気づかなかった。

もう“山男”を見つけてしまっていたからだ。

やがて Ronnie は母を牧場へ招いた。

自分たちで育てた牛のステーキをジュニパーの薪で焼き、二本のジュニパーの木の間に吊るされたブランコに二人で座った。

二人の人生は、あっという間に重なり始めた。

そしてやがて、私たちの人生もそこに重なっていった。

最近、母は Ronnie のことを「人生で一番愛した人」だったと話してくれた。

自分が夢見ていたもののほとんどすべてを彼は与えてくれた、と。

そして母らしい言葉で、こう付け加えた。

「ただし、望んでいた以上に、とんでもないものまで山ほどついてきたけどね。」

うん。

それは確かに Ronnie らしい。

私が「父さん」と呼んだ人

私がまだ幼い頃、Ronnie は私にとって「父さん」と呼ぶ存在になった。

働き者で、面白くて、声が大きくて、厳しくて、何でも工夫してどうにかする人。

洗練されているというより、泥臭く生き抜く強さを持った人だった。

まさに山男だった。

Ronnie との暮らしは、とにかく外だった。

狩り。

銃の撃ち方。

薪割り。

動物の世話。

物を直すこと。

山を探検すること。

泥だらけになること。

怒られること。

そして、学ぶこと。

決して裕福でも、華やかな暮らしでもなかった。

でも、子どもの私にそんなものは必要なかった。

山があった。

動物がいた。

兄弟がいた。

冒険があった。

そして、自分の頭で考えて何とかすることを求める大人たちがいた。

あの家や、あの頃のことには、まだまだ話したいことがたくさんある。

でも、それは別の章のために取っておこうと思う。

ここで大切なのは、ずっと後になって初めて気づいたことだ。

Ronnie は、ただ狩りや射撃、働くこと、自然の中で生きる術を教えていたわけではなかった。

困難にどう向き合うかを教えてくれていたのだ。

その教えは、ニューメキシコの山の中であの小さな男の子を教えていた頃、Ronnie が想像もしなかったであろう場所にまで私についてきた。

その教えは、子ども時代が終わっても残った。

家を出た後も。

私が「Marine」という称号を得た後も。

そして今も、私の中に残っている。

私を育ててくれた手

今振り返ると、私の人生に「普通の家族」という一つの形は見えない。

見えるのは、それぞれまったく違う事情の中で、私の人生に入ってきた四人の人だ。

母は私に命を与え、簡単な選択肢など一つもないときに、勇気とはどんな姿をしているのかを見せてくれた。

実の父は、私にルーツを与え、今も自分の中に確かに感じる勤勉さを残してくれた。

Marya は、母親になること、親になることに血のつながりは必要ないと教えてくれた。

そして Ronnie は、立ち直る強さ、責任感、そして人生が苦しくなっても前へ進み続けることを教えてくれた。

誰か一人が、私にすべてを与えてくれたわけではない。

でも、一人ひとりが何かを与えてくれた。

そして、その一つひとつが重なって、今の私の大きな一部になった。

感謝の手紙

母さんへ

僕たちのために戦ってくれて、ありがとう。

子どもの頃の僕には、母さんがした多くの決断を理解することができなかった。

でも歳を重ね、自分自身も親になった今、少しずつ分かるようになった。

苦しい年月を生き抜いてくれて、ありがとう。

もう一度人生を始める勇気を見つけてくれて、ありがとう。

そして、「もっと良い人生」がどんなものなのか自分でも分からないときでさえ、それを探し続けてくれて、ありがとう。

今こうして、あの頃の記憶を僕に話してくれていることにも感謝している。

父さんへ

僕たちの物語は複雑だ。

それを、そうではなかったかのように語るつもりはない。

でも、複雑だからといって、感謝できることが何もないわけではない。

僕に命を与えてくれて、ありがとう。

メキシコのルーツを与えてくれて、ありがとう。

そして、僕の一部となった勤勉さを与えてくれて、ありがとう。

父さんの長所から学んだこともある。

父さんの過ちから学んだこともある。

その両方が大切だった。

Maryaへ

その意味を理解するには幼すぎた僕を、自分の息子のように育ててくれて、ありがとう。

食事を作ってくれて、ありがとう。

スペイン語を教えてくれて、ありがとう。

いつも清潔にしてくれて、ありがとう。

靴ひもの結び方を教えてくれて、ありがとう。

抱きしめてくれて、ありがとう。

そして何より、僕にはちゃんと居場所があるのだと感じさせてくれて、ありがとう。

何年も経った今になっても、あなたにとって僕はずっと「息子」のままだったのだと教えてくれたこと。

そのことに、心から感謝しています。

Ronnieへ

一人の小さな男の子の人生に入ってきて、僕にとっての「父さん」になってくれて、ありがとう。

たくさんの教えを、ありがとう。

厳しさを、ありがとう。

冒険を、ありがとう。

つらかった日々も、ありがとう。

そして、ずっと後になるまで僕には価値が分からなかった、たくさんのことを教えてくれて、ありがとう。

僕たち二人ともまだ知らなかった未来の困難に立ち向かえるよう、あなたは知らないうちに僕を鍛えてくれていた。

まだ、あなたに伝えなければならない「ありがとう」がたくさんある。

そこには、いつか必ずたどり着く。

四人のみんなへ。

あなたたち自身の一部を、僕の一部として残してくれて、ありがとう。

僕を育ててくれたその手がなければ、今の場所に立っている僕はいない。

愛と感謝を込めて。

Esteban

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今だからわかること

子どもの頃、親というものは、最初から完成された人間のように見えていた。

母さんは、母さん。

父さんは、父さん。

その人たちが、自分たちの親になる前にどんな人だったのかなんて、考えもしない。

彼らにも恐れがあったこと。

恋愛があったこと。

間違いがあったこと。

夢があったこと。

そして、自分自身の重荷を抱えながら、同時に私たちを育てていたこと。

そんなことを、子どもの私たちは知らない。

この章を書いたことで、私の見方は変わった。

私は今、少しずつ「母」や「父」という肩書きの向こう側にいる、一人の人間としての彼らに出会い始めている。

不思議なことに、その人たちの不完全さを知ったからといって、感謝の気持ちが減ることはなかった。

むしろ、もっと感謝するようになった。

なぜなら今なら分かるからだ。

彼ら自身も、自分の人生をどう生きればいいのか必死に探していた。

その一方で、私の人生の土台も、一緒につくってくれていた。

そのすべてに……

ありがとう。

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