第3章
ルーツ
3通目の手紙を書こうと机に向かったとき、ふと気になることがありました。
なんだか、前にも書いたような気がする。
いや、少し似すぎているかもしれない。
第1章では、自分の人生がどのように始まったのかを振り返りました。
第2章では、僕が「親」と呼ぶ4人のことを書きました。
そして今、前へ進むどころか、またさらに過去へとさかのぼろうとしています。
最初は、同じようなことを繰り返しているんじゃないかと思いました。
でも、ふと気づいたんです。
そりゃ、話が重なるのは当たり前だ、と。
僕は、自分がどこから来たのかを知ろうとしているのだから。
両親の物語をたどれば、いつかはその両親、つまり僕の祖父母にたどり着きます。
そして、今の僕という人間を本当に理解しようとするなら、まず両親を形づくった人たちのことも、少しは知らなければならない。
そう考えると、この最初の3章は、もしかしたら別々の物語ではないのかもしれません。
僕という人間を支える土台。
いや、もっとしっくりくる言葉があります。
ルーツ。
そう思った瞬間、この章を書くことが急に難しくなりました。
なぜなら、僕は祖父母のことを知っていたからです。
少なくとも、知っているつもりでした。
僕が知っていたのは、「おばあちゃん」と「おじいちゃん」。
でも、二人にありがとうを伝えようとしたとき、気づきました。
二人が「おばあちゃん」「おじいちゃん」になる前、どんな人間だったのか。
僕はほとんど何も知らなかった。
だから、少しずつ聞いてみることにしました。
おばあちゃんとおじいちゃん
僕は幸運にも、母方の祖父母、エラ・ルイーズ・スパフォードとレナード・アイゼンを知ることができました。
ただ、二人についての記憶は決して鮮明ではありません。
子どもの頃の記憶です。
たくさんのことが消えてしまった中で、不思議と残っている小さな場面や断片。
そして子どもの頃の僕が知らなかったのは、僕が生まれるずっと前の二人の人生でした。
エラおばあちゃんは、カナダのオンタリオ州ベルビル近郊の出身でした。
8人きょうだいの末っ子で、家族が必要な食べ物の多くを自分たちで作る農場で育ちました。
彼女の父親は、地域の水道設備を管理する仕事をしていました。
ずっと後になって、母が仕事で井戸を点検していたとき、おばあちゃんが一緒について行ったことがありました。
そのときおばあちゃんは、自分も子どもの頃、父親の隣に乗って同じように井戸を見て回ったことを思い出したそうです。
なぜか、その小さな話が僕の心に残りました。
彼女のお父さんは、そんな何気ない時間がこれほど長く残るなんて、きっと想像もしなかったでしょう。
井戸を見て回る父と娘。
何十年も経って、その娘が今度は自分の娘と一緒にいて、父との時間を思い出す。
そしてさらに時が流れ、その孫である僕が今、そのことを書いている。
一方、レナードおじいちゃんは、まったく違う世界で育ちました。
ニューヨークのブロンクスで、正統派ユダヤ教の家庭に一人っ子として生まれ育ちました。
彼の父、アブラハム・アイゼンは1922年、ポーランドからエリス島を経てアメリカへ渡ってきました。
家族に伝わる話では、兵役から逃れ、最終的にアメリカへたどり着き、そこで卵を光に透かして品質を確認する仕事をして生計を立てていたそうです。
僕の曾祖母フェイはスペイン系ユダヤ人のルーツを持ち、二人はユダヤの伝統を大切にするコーシャの家庭でレナードを育てました。
そして人生のどこかで、イギリス系カナダ人の農場育ちの女の子と、ブロンクス育ちのユダヤ人の青年が出会いました。
やがて、その二人が僕のおばあちゃんとおじいちゃんになりました。
ブルックランズ
二人が一緒に築き始めた生活の舞台は、ニューヨーク州サファーンでした。
母の最も古い記憶は、かつてのダン・ビアード邸の敷地にあった「ブルックランズ」という小さな2ベッドルームのコテージから始まります。
母の話を聞いていると、まるで別の時代の、別の世界のようです。
森と果樹園。
子どもたちがザリガニを捕まえた小川。
冬には凍った湖でスケートをし、雪の砦を作る。
近所の子どもたちは何時間も外へ遊びに行き、気づけばちゃんと家へ帰ってくる。
日曜日には町まで歩き、ダイナーで朝食を食べました。
キッチンにはメノラーがあり、リビングにはクリスマスツリーがありました。
今の基準で見れば、物はそれほど多くなかったのかもしれません。
でも母の記憶を聞いていると、
そこには十分すぎるほどのものがあったように思えます。
やがて、おじいちゃんはもっと上を目指すようになりました。
届かない星
おじいちゃんはニューヨークで広告会社を成功させました。
小さなコテージでの暮らしは、やがてチャーンウッド・ドライブ15番地の美しい家での生活へと変わりました。
新しい車。
ボート。
家族旅行。
ケープコッド。
モントーク・ポイントでの深海釣り。
ニューヨーク市へのお出かけ。
外から見れば、多くの家族が夢見ていたものを手に入れたように見えたでしょう。
アメリカン・ドリーム。
母がおじいちゃんについて話してくれた中で、今も心に残っている話があります。
おじいちゃんは『ラ・マンチャの男』が大好きで、「届かない星」を目指す歌を家の中でよく口ずさんでいたそうです。
そして何年も経ってから、母にこう話したそうです。
自分が欲しいと思っていたものは、ほとんどすべて手に入れた。
それでも、幸せではなかった、と。
20年以上の海兵隊生活を終え、退役が近づいている今の僕には、その言葉が20年前とはまったく違って聞こえます。
欲しかったものをすべて手に入れたからといって、
本当に必要だったものまで見つかるとは限らない。
おじいちゃんは、それを人生の中で知ったのかもしれません。
そして、二人の結婚生活も永遠には続きませんでした。
おばあちゃんとおじいちゃんは、やがて離婚しました。
でも、不思議なことがあります。
僕は知らなかったんです。
何年もの間。
夫婦として二人の間に何があったとしても、それは二人の間に置いていたように思います。
孫である僕たちに会いに来るときは、離婚した後も二人で一緒に来てくれました。
だから、子どもの僕にとって二人は、ただのおばあちゃんとおじいちゃんでした。
二人が離婚していたことを知ったのは、僕が10代になってからでした。
今振り返ると、そのことを当時よりずっと深くありがたく感じます。
二人が僕たちの前に来るために、何を脇に置かなければならなかったのか。
訪ねてくる前や帰った後に、どんな会話があったのか。
僕にはわかりません。
僕にわかるのは、孫だった僕の目に映っていたことだけ。
二人は来てくれた。
一緒に。
大人が子どもの肩に「背負わせない」と決めたものは、ときに、子どもに与えてくれたものと同じくらい大切なのかもしれません。
僕の記憶の中の二人
こうして考えていると、小さな記憶が少しずつ戻ってきます。
おばあちゃんは、優しくて静かな人でした。
自分の存在を大きく見せる必要のない人。
今でも覚えているのは、彼女が持っていた穏やかさです。
おじいちゃんは、まあ……ほぼ正反対でした。
おじいちゃんがそこにいれば、
おじいちゃんがいることは誰にでもわかりました。
存在感があって、独特の乾いたユーモアがありました。
子どもの頃の僕には、その面白さをまだ十分理解できていなかったと思います。
でも、二人についてもう一つ、はっきり覚えていることがあります。
二人は、僕たちのことを決して忘れませんでした。
二人は遠くニューヨークに住んでいたので、近所におじいちゃんとおばあちゃんが住んでいる家庭のように、日常的に会える関係ではありませんでした。
それでも誕生日になると、カードが届きました。
プレゼントも届きました。
そして不思議なくらい、いつもちゃんと間に合っていました。
子どもの頃の僕は、きっと箱の中身のほうがずっと大事だったでしょう。
でも今なら、その箱が本当は何を意味していたのかわかります。
遠く離れた場所で、おばあちゃんとおじいちゃんが、
「もうすぐあの子の誕生日だ」
と思い出してくれていた。
僕たちのことを考えてくれた。
プレゼントを選んでくれた。
そして誕生日に間に合うように、早めに送ってくれた。
毎年、毎年。
それもまた、愛なんだと思います。
大きな犠牲でも、劇的な家族の物語でもありません。
だからこそ今、そのことがありがたいのかもしれません。
二人は、ごく普通の小さな方法で、遠く離れた距離を少しだけ近くしてくれました。
そして、おばあちゃんとおじいちゃんがその場にいなくても、
僕たちはいつも二人の心の中にいる。
そう感じさせてくれました。
知ることのできなかったルーツ
父方の物語は、少し違います。
父の両親は、父がまだ幼い頃に亡くなりました。
だから僕は、二人に会う機会を一度も持てませんでした。
子どもの頃に遊びに行った思い出もありません。
会話の記憶もありません。
おばあちゃんの台所の懐かしい匂いもありません。
おじいちゃんの隣に座った思い出もありません。
僕の人生のほとんどの間、その家族の部分は、父の向こう側にぼんやり存在しているだけでした。
でも今、僕は質問をしています。
二人がどんな人だったのか知りたい。
何に笑ったのか。
何に苦しんだのか。
一緒にいられた短い時間の中で、息子に何を残したのか。
そして何よりも、
幼くして両親を失ったことが、残された少年をどんなふうに形づくったのか。
二人の人生が終わったからといって、その影響までそこで終わったとは限らないからです。
その少年は大人になりました。
僕の父になりました。
そして父の一部は、僕の一部になりました。
僕たちは一度も言葉を交わしたことがありません。
僕は二人の声を聞いたこともありません。
どんなアドバイスを僕にくれたのかもわかりません。
僕の笑顔や笑い方、あるいはこの頑固さが、二人のどちらかから受け継いだものなのかもわかりません。
でも、これだけはわかります。
二人はこの世界に、一人の小さな男の子を残してくれました。
その男の子は、いつか僕の父になりました。
それだけでも、僕には感謝する理由があります。
感謝の手紙
おばあちゃん、おじいちゃんへ。
もっと覚えていたらいいのに、と思います。
二人と交わした会話や、子どもの僕がもう少し賢ければ聞けたはずの質問で、何ページも埋められたらいいのにと思います。
でも、それはできません。
僕に残っているのは、小さな記憶のかけらです。
おばあちゃん。
あなたの優しさと、静かで穏やかな姿を覚えています。
おじいちゃん。
あなたの存在感と、あの独特の乾いたユーモアを覚えています。
まあ、おじいちゃんは、こっそり部屋に入ってきて誰にも気づかれない……なんてタイプではありませんでしたね。
二人が会いに来てくれたことを覚えています。
カードを覚えています。
そしてもちろん、プレゼントはしっかり覚えています。
子どもの頃は、きっとプレゼントそのものが一番大切だったのでしょう。
大人になって、ようやく気づきました。
本当に大切だったのは、
二人が忘れずに送ってくれたことだったんだ、と。
遠く離れて暮らしていても、距離を理由に僕たちの人生から消えることはありませんでした。
そして今になって、特にありがたいと思うことがあります。
当時の僕には、その意味すらわかっていませんでした。
二人の結婚生活は終わっていました。
それでも孫たちのためには、二人で一緒に会いに来てくれました。
二人が離婚していたことを知ったのは、僕が10代になってからです。
二人の間にどんな問題があったとしても、それは大人同士のものでした。
その重さを、孫たちに背負わせることはしなかった。
そのことに、ありがとう。
誕生日を覚えていてくれて、ありがとう。
カードを送ってくれて、ありがとう。
いつもちゃんと間に合うようにプレゼントを送ってくれて、ありがとう。
遠くから会いに来てくれて、ありがとう。
そして何より、
僕たちの人生に、ちゃんといてくれてありがとう。
僕の母を育ててくれて、ありがとう。
歳を重ねるほどに思います。
人からもらった本当に大切なものほど、受け取ったその瞬間には、その価値に気づけないことがある。
「ありがとう」の意味がわかるまで、何十年もかかることもあります。
僕にとって、これはその一つです。
すべてを覚えているわけではありません。
でも、一つだけは十分に覚えています。
僕は愛されていた。
孫として、それを今も心に持っていられることは、
とても幸せなことだと思います。
ルーツ
この章を書き始めたとき、僕は祖父母への感謝の手紙を書いているつもりでした。
でも今は、それだけではないことに気づき始めています。
僕は今、
自分のルーツを掘り起こしている。
一つの物語を見つけるたびに、僕の家族がどうやって今の家族になったのか、その小さな欠片がまた一つ見えてきます。
幸運にも、僕自身が知ることのできたルーツもあります。
今になって初めて見つけているルーツもあります。
そして、どれだけ探しても、深く埋もれたまま見つけられないものもあるでしょう。
それでもいい。
根は、見えなくても僕たちを支えてくれるものだから。
僕は人生のほとんどを、前を向いて生きてきました。
次の赴任地。
次の階級。
次の挑戦。
結婚。
子ども。
孫。
退役。
いつも、その次へ。
だからこそ、この旅は自分でも驚くほど不思議なものになっています。
人生の一つの章の終わりに近づけば近づくほど、
僕は過去を振り返るようになりました。
そこに戻りたいからではありません。
ようやく、そこに何があったのかを理解できる歳になったからです。
だから、おばあちゃん、おじいちゃん。
ありがとう。
そして、一度も会うことのできなかった祖父母にも。
ありがとう。
僕の物語の中にあるあなたたちの部分は、僕には少し見えにくいのかもしれません。
でも、見えないからといって、
そこにないわけではありません。
僕たちは人生のほとんどを、
伸びていく枝ばかり見ながら生きています。
でも、ときには足元を見ることも大切なのかもしれません。
なぜなら、
誰一人として、今立っている場所から始まったわけではないから。
枝が伸びる、そのずっと前に……
そこには、根がありました。