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第4章

僕が育った家

「子どもの頃の家」と聞いたとき、多くの人が思い浮かべるのは、きっと普通の一軒家だと思います。

住所があって、自分の部屋があって、食卓があって。

もしかしたら、遊び回った裏庭もあるかもしれません。

僕の場合は、少し違いました。

僕の子ども時代の舞台となったのは、ニューメキシコ州のキャピタン山脈。

大きな山々の間にぽっかりと開いた場所があり、僕たちはその辺りを「キャピタン・ギャップ」と呼んでいました。

その山々のふもとに、小さな小さなキャビンが建っていました。

「小さい」と言っても、本当に小さい家です。

1900年代初め頃、ロニーの祖父母が建てた古い開拓時代のキャビンで、広さはせいぜい20〜30フィート四方ほどだったと思います。

1階には、四口の薪ストーブとベッド、ソファ、小さな食事スペース、それから地下貯蔵庫へ続くクローゼットがあるくらい。

2階は仕切りのない大きな一部屋で、そこにロバート、デイビッド、そして僕の三兄弟が寝ていました。

電気はありませんでした。

水道もありませんでした。

そして長い間、そこが僕たちにとって当たり前の「家」でした。

灯りが消えたら

……と言いたいところですが、そもそも消える灯りなんてありませんでした。

電気がなかったのですから。

山が暗闇に包まれると、僕たちは灯油ランタンに火を灯しました。

冬になると、1階の薪ストーブが家全体の暖房代わりでした。煙突は2階の僕たちの部屋を通って屋根へ抜けていたので、三人でその煙突の周りに寝袋を並べ、少しでもその暖かさにあやかろうとしていました。

キャビンはかなり古く、「気密性が高い」なんて言葉とは無縁の建物でした。

屋根の隙間から雪が入り込むこともありました。

母の話では、朝、2階へ上がってきて、僕たちが眠っている寝袋の上に積もった雪を払い落とすこともあったそうです。

大人になった今聞くと、「それ、かなり大変な暮らしだったんじゃないか」と思います。

でも子どもの頃の僕には、「何かが足りない」と感じた記憶がありません。

覚えているのは、煙突から伝わる暖かさ。

ランタンの柔らかな灯り。

そして、灯油と薪が燃える匂いです。

今でもその匂いを嗅ぐと、一瞬であの場所へ戻れるような気がします。

トイレはキャビンから25〜50ヤードほど離れた屋外の小屋でした。

当然、冬にトイレへ行くとなれば、ちょっとした冒険です。

薪ストーブから出た熱い炭を使って、排泄物を燃やして処理していました。

なかなかうまくいっていました。

……トイレそのものを燃やしてしまうまでは。

どうやら衛生管理と放火の間には、思っていた以上に細い境界線があるようです。

もちろん、新しいトイレを建てることになりました。

とはいえ、山の中で暮らす男の子が三人もいれば、毎回わざわざトイレまで行く必要もありません。

朝起きて、冷たい山の空気の中へ出て、そのまま外でおしっこをする。

それが一日の最高の始まりだったりしました。

新雪が積もっていれば、なおさらです。

当然のように、「どれだけ雪を溶かせるか」という挑戦が始まります。

今考えると、本当にくだらない思い出です。

でも今でもはっきりと浮かびます。

冷たい空気。

周りを囲む山々。

そして何の心配もなく、家の前で新しい一日を始める小さな男の子。

水には重さがあった

道路の近く、キャビンから半マイルほど離れたところに母屋があり、僕たちはそこから水を運んでいました。

三人で容器をワゴンに積み、坂道を引っ張ってキャビンまで戻ります。

水が必要なら、誰かが取りに行かなければならない。

それだけのことでした。

お風呂に入るのにも、ひと仕事必要でした。

大きな黒いタブがあり、薪ストーブでお湯を沸かしてそこへ入れ、順番に体を洗いました。

同じタブ。

同じお湯。

男の子三人。

だから、あることだけはすぐに学びました。

一番風呂がいちばんいい。

今振り返れば、ずいぶん原始的な生活だったように聞こえます。

でも僕の記憶は、そうではありません。

僕たちは幸せでした。

あの頃、家族はうまくいっていました。

お互いを頼りながら暮らしていました。

まあ、あれだけ小さなキャビンでは、お互いから逃げようと思っても、逃げる場所なんてほとんどなかったんですけどね。

ドアの向こうに広がっていた世界

家の中になかったものを、外の世界が全部埋め合わせてくれていました。

そこには山があり、広い野原がありました。

キャビンから200ヤードほど坂を下ったところには畑があり、豚小屋、大きな納屋、そして時期によっては15〜20頭ほどの牛と、その子牛たちがいました。

僕の子ども時代には、いつもロットワイラーもいました。

犬たちは家族の一員でしたが、同時に僕たちが世話をする責任もありました。

餌をやり、面倒を見て、子犬が生まれれば、その子たちの世話もしました。

あの土地には、いつも何かしら僕たちの手を必要としているものがありました。

餌をやるもの。

水をやるもの。

掃除するもの。

守るもの。

そして、悪さをしないよう見張っておかなければならないもの。

まあ最後の一つについては、僕たち三兄弟にも同じことが言えたと思います。

牧場には自分たちの焼印があり、父は牛に焼印を押す方法も教えてくれました。

当時、牛を固定するための専用の設備はありませんでした。

だから、自分たちで牛を倒します。

子牛を横倒しにして、しっかり押さえ、熱した焼印を当てる。

牛を相手に「自分のほうが強い」と納得させようとするのは、なかなか謙虚になれる経験です。

たいていの場合、牛のほうには「いや、違うだろ」と証明するだけの力がありました。

でも、それが僕たちの日常でした。

やらなければならない仕事がある。

だから、やる。

牛たちは、僕たちの食料にもなりました。

自分たちで育てた牛を屠畜していたので、牛肉にはあまり困りませんでした。

畑からも食べ物が採れました。

……ジャックラビットたちに先に食べられなければ、ですが。

畑を荒らすジャックラビットは駆除しました。

一方、ワタオウサギは別です。

そちらは夕食になりました。

ただ、一つ問題がありました。

僕はかなりの偏食だったんです。

ウサギを撃って家へ持ち帰るところまでは平気なのに、それを食べるとなると話は別でした。

そこで母が問題を解決しました。

「今日はチキンよ」

そう言われて、僕は普通に食べました。

どうやらその日の「チキン」は、僕が思っていたよりずいぶん耳が長かったようです。

ウサギでした。

結局、ウサギの肉そのものは嫌いじゃなかったらしい。

僕に必要だったのは、皿の上に何が乗っているのか、母にちょっとだけ嘘をついてもらうことだったようです。

三人の少年と山

僕たちは幼い頃から銃の扱いを覚えました。

最初はBBガンやペレットガン。

そこから少しずつ、.22口径のライフルへと進んでいきました。

成長するにつれて、山々は僕たち三人の冒険の場所になりました。

野原ではハトを狩り、畑を荒らすジャックラビットを追い、ワタオウサギを家へ持ち帰りました。

そして時には、三人でただ山の中へ消えていきました。

携帯電話もない。

GPSもない。

僕たちがどこにいるのか追跡している人もいない。

.22口径のライフルを持った三人の少年が、山の中を歩き回っているだけ。

よく無事に大人になれたものだと思います。

ある日のこと、僕が踏みつける直前に、ロバートが二匹のガラガラヘビを見つけました。

あの瞬間、兄は僕が噛まれるのを救ってくれたのだと思います。

そして僕たちは、.22口径を持った三人の少年らしい、実に「賢明な判断」をしました。

三人で撃ちまくったんです。

そして、そのヘビを拾い上げ、父に見せるために山を駆け下りました。

僕たちは誇らしげでした。

父はまったく誇らしげではありませんでした。

ヘビの体にはまだ動く力が残っていて、運んでいる間に僕たちの腕へ巻きついてきました。

父親の立場で想像してみてください。

三人の息子が、ガラガラヘビを腕に巻きつけたまま、満面の笑みで自分に向かって走ってくるんです。

僕たちは褒めてもらえると思っていました。

父はヘビを僕たちから取り上げ、その頭を切り落としました。

今なら、あのときの父の反応がよくわかります。

父は僕たちに、自分の力で何かをできる人間になるよう教えてくれていました。

ただ残念なことに、自分で何かができるようになると、僕たちは時々、自分たちが無敵だと勘違いしていたようです。

僕たちの最初の遊園地

牛たちが水を飲みに行く貯水池があり、その周囲には場所によって30フィートほどの高さになる大きな土手がありました。

牛にとっては水飲み場。

僕たちにとっては、プールであり、遊園地でした。

牛が水を飲み、体を冷やしているのと同じ水の中で、僕たちも泳いでいました。

あるとき、僕たちは樽を手に入れました。

中に枕を詰め込み、自分たちも中へ入り、土手の上から転がり落ちる。

その後、僕たちの「乗り物」はさらに進化しました。

消防車の形をしたPower Wheelsです。

ただし、動きませんでした。

普通の子なら、「壊れてるから使えない」と思ったかもしれません。

僕たちは違いました。

可能性を感じました。

車輪が自由に回るようにして、土手の上まで押していき、中へ乗り込み……

そのまま下まで走らせました。

何度も。

何度も。

ヘルメットなし。

シートベルトなし。

取扱説明書なし。

あったのは重力と、あまり賢いとは言えない判断力だけ。

なのに不思議なことに、今でも一番笑顔になるのは、そんな思い出だったりします。

25セントが大金だった頃

僕たちは、そう頻繁に町へ行くことはありませんでした。

たまに町へ出る理由の一つが、コインランドリーでした。

母にとっては洗濯の日。

僕たちにとっては違いました。

そこにはアーケードゲームとガムボールマシンがありました。

運よく25セント硬貨を何枚かもらえれば、ただの洗濯が一大イベントに変わりました。

大したことではありません。

でも僕たちには、大したことだったんです。

そして洗濯が終われば、また山へ戻っていきました。

動物たちのところへ。

ランタンと薪ストーブのある場所へ。

灯油と煙の匂いのする場所へ。

僕たちの家へ。

足りないものがあるなんて知らなかった

大人になればなるほど、自分の子ども時代を人に話すと、少し不思議な暮らしだったんだなと思うようになりました。

電気なし。

水道なし。

屋外トイレ。

坂道を運んでくる水。

薪ストーブの暖房。

そして、自分たちの周りの土地から得る食べ物。

でも、何かが足りないと感じていた記憶はありません。

僕には、山脈そのものが裏庭だったからです。

あの小さなキャビンを離れてから、僕はいろいろな場所で暮らしてきました。

いろいろな家。

いろいろな州。

いろいろな国。

いつの間にか、「家」での暮らしはずっと便利になりました。

でも、あの小さなキャビンだけは、子どもの頃の思い出が残る場所に、今もあの頃のまま存在しています。

目を閉じれば、暗闇の中で灯る灯油ランタンが今でも見えます。

薪ストーブで燃える木の匂いも思い出せます。

煙突の周りに並んだ三つの寝袋。

その上の雪を払ってくれる母。

水を積んだワゴンを坂道の上まで引っ張る、デイビッドとロバートと僕。

敷地を走り回るロットワイラー。

納屋の牛たちと、坂の下の畑。

貯水池の土手の上に置かれた、壊れたPower Wheels。

アーケードゲームへ吸い込まれていく25セント硬貨。

そして、耳のことだけは都合よく説明せず、「チキン」を僕の皿に出す母。

その思い出のどこかには、いつも父がいます。

働き、教え、僕たちを叱りながら、ときどき、

「こいつら、今日もよく無事だったな」

とでも思っていたのかもしれません。

あの頃は、どれも覚えておくほど大切なことだなんて思っていませんでした。

ただの仕事。

ただの食事。

ただの冒険。

ただの、家で過ごす一日。

子ども時代というのは、不思議なものです。

いつか人生の残りの時間をかけて何度も思い返すことになる記憶を、自分が今まさに作っているなんて知らない。

ただ、その日を生きているだけです。

それから何十年も経ち、あの頃よりずっと広い世界を見ることができた今でも、目を閉じれば、キャピタン山脈のふもとにあるあの小さなキャビンへ戻ることができます。

キャビンは小さかった。

でも、僕たちの世界は小さくなかった。

キャピタン・ギャップで育ったあの頃の小さな僕にとって、

そこが「家」でした。

――――――――――

感謝の手紙

親愛なる、僕の「家」へ。

今になって君を「家」と呼ぶのは、なんだか不思議な気持ちです。

電気もなかった。

水道もなかった。

セントラルヒーティングもなかった。

広い場所だってなかった。

それでも、不思議なくらい君は十分でした。

子どもの頃の僕は、君に「何がなかったか」なんて考えたこともありませんでした。

ドアを飛び出した先にあるものに夢中だったからです。

裏庭には山々がありました。

一緒にその山を探検する兄弟がいました。

僕たちを必要とする動物たちがいました。

家族を支えてくれる両親がいました。

そして三人の少年が、どんなものでも冒険に変えられるほどの自由がありました。

「勤労」という言葉の意味を知る前に、君は僕に働くことを教えてくれました。

「責任」という言葉を知る前に、責任を持つことを教えてくれました。

今の基準で考えれば、僕たちが持っていたものは決して多くありません。

それなのに君は、一度も僕に「何かが足りない」と感じさせませんでした。

あれから僕はいろいろな場所で暮らしてきました。

キャピタン・ギャップの小さな僕には想像もできなかったような便利な暮らしも経験しました。

でも、君がくれたものの中には、お金では買えないものがあります。

強さ。

工夫する力。

自由。

家族。

そして、小さな幸せを大切にする心。

あの頃の僕には、そんなことは何もわかっていませんでした。

君はただ、毎朝目を覚ます場所でした。

家族がいる場所でした。

遊んで、働いて、学んで、笑って、成長した場所でした。

君は、僕の家でした。

だから、ありがとう。

冷たい朝と、暖かい火をありがとう。

山と、たくさんの冒険をありがとう。

仕事と、そこから学んだことをありがとう。

そして、あの頃は思い出になるなんて知らなかった、何気ない毎日をありがとう。

僕はずいぶん昔に君のもとを離れました。

それでも、君の一部をずっと心の中に持って、ここまで歩いてきました。

ありがとう、僕の家。

君は僕に、すべてを与えてくれたわけではありません。

でも――

僕にとって本当に大切なものは、すべて与えてくれました。

心からの感謝を込めて

Esteban

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